H技研で期間工体験談

車が好きな私は大型トラックの解体の仕事をしていました。大きなトラックをノックダウンする作業をするため、ねじの一本まで解体していくのが楽しくて、全てを解体した後の達成感を味わうのが仕事の楽しみでした。解体の仕事は楽しかったですが、車好きの自分としては解体では無く車を作る仕事に携わりたいと思っていたので、転職を決意しました。

私が働いていたのは昭和59年ごろで、自動車産業が右肩上がりの時代だったので車関係の求人がたくさんあり、HONDAの車が好きだったので本多技研の期間従業員の募集が有り、友人が働いていたのでコネで入社することが出来ました。

契約期間は二年と二ヶ月で残業が40時間と少し多く、生産が間に合わないので隔週土曜日は出勤になっていたので辛かったですが、お給料が通常の倍の30万円と高額だったのでモチベーションを維持することが出来ました。

私の担当は「ドライブシャフトの組み立てライン」で7.5秒に一つパーツが流れてきてそれを組み立てる作業でした。大型トラックの解体をしていた私は、手先の器用さには自信が有り同時期に入った期間従業員よりも素早く仕事が出来ました。

ラインを引き継ぐためのピッキング作業でも解体をやっていた時の経験が役立ち、部品を傷つけないように丁寧に仕事が出来たので、同僚や上司から信頼を得ることができました。

最初は実家にから通っていましたが、交代勤務で早朝に出勤、深夜に帰宅することが多く両親に迷惑をかけてしまうので、工場近くの一軒家を借りて住んでいました。初めての一人暮らしだったので色々戸惑いましたが、親しみやすい同僚が多く困っている時には助け合うことが出来たのでそれなりに快適だったと思います。

また休日には車好きの皆とドライブに行ったり、飲み会が多くお酒好きの私は飲み過ぎて潰れてしまい、同僚に家まで送ってもらったりとお世話になりっぱなしでした。お世話になったお礼に、仕事を素早くしたり、残業を少しでも多く出るようにして皆の負担が減るように努めました。ライン作業なので、同じ作業の繰り返しで飽きてしまう人も多く、頭がぼーっとする事が多かったので、指に部品のバリが刺さってしまうことがたびたびありました。常にバリを抜く為にピンセットを持ち歩いていました。

それを見た親は、「あんたってそんな几帳面な性格だったっけ?」と笑っていました。

組み立ての仕事に慣れ、さらにスキルを高めたかった私は上司の勧めもあって国家資格の整備士の資格も取得しました。2年2か月という短い期間でしたが、車好きの私にはとても充実していて車に対する知識や気持ちが高まった期間でした。



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