40年前の期間工体験談

最初は28歳の頃に横須賀にあるN自動車の工場で期間工をしました。次は5年程後にT自動車に部品(スプリング)を提供する大手の会社で期間工をしました。共に給与は良かったですが、特に2度目のは飛びぬけて好待遇で、残業代を含めて手取り38万程になりました。

N自動車では、車のボデイをプレスする工程の検査を担当しました。これは かっての検査経験が買われて廻されたのですが、現場でも最も楽な仕事でした。作業工程をぐるぐる廻りながら、時々抜き取り検査を丁寧にやり、ゴミがないかとか、金型そのものの摩耗、欠損などによる不良整形が出ていないかをチェックしました。

時にはラインをストップさせて、完全に状態が修復されたのを見て作業開始のOKを出す、といったことをしました。割に同僚もインテリジェンスのある紳士的な人物がほとんどでした。後ほど期間の切れる寸前、正社員への登用を告げられ、それに従いましたが、数年後訳あって職を辞しました。

2度目の期間工体験は、自動車そのものの組み立てではないですが、一連の自動車加工の工場で、その内容は他の自動車工場と一緒で、かなりのスピードで進むベルトコンベアーの脇に並び、それぞれ単純な作業をその一部だけ請けてこなして行く仕事でした。

担当したポジションは相当きつく、他の人は一工程なのに、二つの工程を担当させられ、トラックに使う重いスプリングの加工をしました。

その分給与は良く、こんなに貰っていいのかな?と思うほどの高給でした。

そこでずっと期間満了まで働く予定でしたが、ふた月ほどして夏の長期休暇となり、名古屋から奈良の自宅まで帰って来る事にして、帰る途中城見物の予定で彦根に降りました。その電車を降りて改札口へ出るまでの間に、独立個人営業の仲居さんと知り合う結果となりそのまま、行を共にし、いい機嫌のまま、招かれるまま彼女の自宅を訪問、そのまま数日間を過ごしてしまいました。

そのうちに現場に帰るのがイヤとなり、惜しい事ですが、その職を擲つこととなりました。本当にいい給与だったのですが・・。

いまから40年程も前の月38万手取りだから、かなりの高給です。それにきついとは言え、作業の速いテンポはなんなくこなせて、自分の性に合っていました。酒と女で人生失敗した私ですが、この時もやはり酒と女でした。

期間工をしていたときは、寮住まいでした。個室ではなく、数人の相部屋でしたが、特にけんかをするでも無く、同じ境遇の間柄ゆえ、仲良く過ごした記憶があります。

N自動車で働いたときは、担当する仕事のポジションも良く、みんな紳士的な人たちで、クリスマスの時など自宅に招待して奥さん共々持て成してくれるほどいい間関係でした。しかし、それ以外は、やはり正社員と期間工との間には意識の違いもあり、多少の心のズレは感じられました。生涯をその会社に賭けた人たちと、高給に釣られてしばしの職を求めて各地から馳せ参じる者たちとの間には、会社に対しても、仕事に対しても違った感覚を持っていたのは当然かもしれません。でも相対的には、どこの職場でも良くしてもらえたし、それぞれがイイ想い出となっています。

見知らぬ土地に赴任する事も、全てがもの珍しく、旅行気分で毎日を楽しめたし、今となっては、全ていい思い出となっています。



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